CATEGORY:3.11震災

2013年03月07日

被災地 1

被災地 1
被災地 1

長年住み慣れた東京から郷里の岩手県大船渡市に戻ったのは4年前の事。
高校・大学の友人達は「本当に大丈夫か??」と心配したものだったのだが、小・中学までは住んでいた土地だし、幼馴染や友人も多く居たので快適な田舎ライフを満喫していたのだが3.11の震災が起きた。

私は多くの友人知人を一瞬で亡くしてしまった。


3.11当日は、仕事の打ち合わせの為、陸前高田市の海の目の前に建つホテルに午前中から行っていた。

打合わせ相手はホテル創立者の御子息で古い付き合いのある方だったので、打ち合わせを兼ねた午前のコーヒータイム&無駄話をしながら楽しく過ごしていた。 
彼は午後から接遇の講義を社員全員で受講させる予定との事で「お前も受講したら?」と誘われたりもしていたが、私には朝一で入った夕方からの仙台市出張が有った為に辞退し、大船渡の事務所に戻った。
*ここのホテルは完全に浸水し現在は取り壊し作業中だ。

午後は釜石支店のスタッフが私に会いに大船渡に来る予定だったので、少しだけ空いた時間を利用し仙台行き用の荷物を取りに自宅に向かう為、大船渡の事務所を出たのが2:30分位だったと記憶している、結果論だが私は仙台出張に命を救われた事になった。

まもなく自宅到着だという時に突然の揺れが来た。
当時は仕事用に古いボルボを使用していたのでエンジンが壊れてしまったかと思って停車したのだが、周りを見渡すと、電信柱は尋常じゃない揺れ方をしているし積み上げて有るブロック塀も縦に跳ねている状況だった・・・
下校時だった小学生の子供達は悲鳴をあげていたし、御老人の方々も「ただ事じゃ無い」とオロオロしていた。
子供達に電信柱の下に居ない様に注意してから、歩くのもままならない揺れだったが、慌てて自宅に駆け戻った。
祖母と母は無事だったが、他の家族は遠方に居たので連絡が取れない状態になった。

揺れている最中~20分後位まではメールが出来たのだが、揺れが収まって少ししてからからは携帯はおろか電気・ガス・水道・家庭用電話の全てが止まってしまった。

「縦揺れ地震の時は津波が来る」と子供の頃から教わっていた。
大船渡の事務所は海の目の前に建っている為にスタッフの事が心配でならなかった私は、揺れが収まり自宅には損害が無い事を確認した後、母にスタッフの安全確認をしに事務所に戻る旨を告げ自宅を出た。
しかし少し進む事は出来たが道路は津波で寸断されていて、家や車が玩具の様に波に流されて行くのを茫然と見ているしかなかった。
思い直して別ルートで行こうと引き返してみたが、その道には倒壊家屋が流され塞がっており通行は不可能、田舎故に他のルートは皆無であった為、私は自宅付近から動けない状況に追い込まれてしまったのだが、この自分の置かれた状況がいかに幸運な事だったのかは後になって知る事になる・・・

結局は近所に住んでいる友人2家族の安否を確認しただけで、帰宅する以外に出来る事は無く、私は絶望的な気分で自宅に戻った・・・

不幸中の幸いにも田舎はプロパンガスを利用しているので、取敢えずはガスだけは復旧させたのだが、他のライフラインは全滅で、ガレージから水や灯油を取り出したり近隣の家の安否確認をし、ラジオ放送で情報を聞きながら夜に備えた。
この時点では情報が錯綜しておりラジオでも詳しい情報は言っていなかったと記憶している。

我が家は高台に有る為に津波の被害は無かったし家屋の損傷も免れた、しかし隣の区画には倒壊した家屋が点在していて「火災の危険があるので近くに行くな」と消防隊員が叫んでいた。
浸水したと思われる地区からは時々爆発音が響いており心底恐怖感を感じた。
(のちに判明したのだが自動車が火災を起こし爆発していたらしい)

夕方になると近所の広場には多くの人達が集まっていたので、知人が居ないか確認しに行くと「家をながされた」「家族が海から戻ってこない」などの啜り泣きが多く聞こえており、ラジオ報道より事態は甚大だと実感させられた・・・

何度も余震が続いていたが、どこまで浸水したか状況確認をしに徒歩で出かけてみたのだが500mも進んだ場所には漁船やら倒壊家屋が流されてきており通行はおろか立ち入りすら出来ない有様だった。


この日から長い日々のサバイバルがはじまった。

*不幸中の幸いにも家族が全員無事だった事は、無神論者の私でも神に感謝している。




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Posted by SONNY  at 22:17 │Comments(4)3.11震災

COMMENT
自分は大阪在住で地震時は夜勤明けで家でのんびりしてました。
すると突然眠気が襲ってきたのか頭がク~ラクラ。。。
実はそれこそが地震の余波だったのですね。
遠く離れた大阪でも揺れを感じました。
ほんとに言葉にできない程の出来事でただただ被災地の方々の事を思うと胸が痛かったです。
自然に対して人間は無力であります。
しかしあの日のことを教訓にし少しでも災害に強い街として復興して欲しいですね。
Posted by dokatin at 2013年03月08日 12:58
dokatinさん

コメント本当にありがとうございます
自然に対して人間は無力・・
dokatinさんの仰る通りだと実感します、災害に強い街作りも絶対に必要だと痛感します。

被災中とても嬉しかったのは兵庫・大阪などから応援の為現地入りしていた関西圏の警察官の方々の心意気でした。
「阪神大震災の時に色々世話になったんです」と土埃の舞う中、街中を駆け回っておりました。やはり震災経験者の方々から「頑張りましょう」と言って頂けるのは本当に励みになりました。

他にも自衛隊の方々・海外からの救援部隊・一般のボランティアの方々にも
感謝にたえません。
Posted by SONNYSONNY at 2013年03月09日 18:01
こんばんは。

明日で2年になりますね。
多くの友人知人を亡くされたとのこと。。。
いい年して月並みな言葉しか思い浮かびません。
大した事はできませんが、復興にために私にできることを続けていこうと思います。
Posted by くまごろーくまごろー at 2013年03月10日 23:38
くまごろーさん

コメントありがとうございます

本日で2年になりました。
2年間はあっという間に過ぎて行った感じがします。
被災地は今も被災したままの土地と倒壊家屋を取り除いただけの荒れ地が混在している状況です・・・

被災地で暮らしていると復興には時間がかかると痛感します。
私個人では復興の協力など出来ないと思います、しかし毎日自分が出来る範囲で出来る事をして微力ながら被災地の再建に役にたって生きていけたらと思っております。
Posted by SONNYSONNY at 2013年03月11日 22:14
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